こんにちは、アオイソラです。
50記事目となる今回は、マラソンを始めたきっかけの話と、マラソンをしたことで私が得られたことは何だったのか、について書きたいと思います。
10年マラソンを続けてみて、振り返ってみると、本当にいろんなことがあったなと感慨深いものがあります。
いいことも悪いこともありましたが、それらすべてひっくるめて、いい勉強をさせてもらいました。
10年走り続けてきて私が得たことについて、ここで一覧にしておきます。
- ストレス解消になった
- 健康な体を得られた
- 自分自身(心と体)と深く向き合うようになった
- 会話のネタになった
- 人と知り合うきっかけになった
- 知らない土地に行くことを覚えた
- フルマラソンを完走した時の達成感を知った
- 自分の価値観の狭さを知るきっかけになった
- 某新聞で紹介して頂いた
- 自分の限界を知ることができた、限界を受け入れることができた
- マラソンでメンタルが強くなるわけではないと知った
- 走ることが心のよりどころになった
- 好きなことに向かう自分がいたからこそ、好きではない場所に向かっている自分を見つめ直すことができた
上記のことをご紹介する前に、まずは「マラソンを始めるきっかけ」からお話ししたいと思います。
「これからマラソンを始めようかな」という方に、何か有益な情報をお伝えできればと願っています。
ぜひご覧ください。
目次
- 1 私がマラソンを始めるきっかけは、ツイッターで見るランナーの投稿だった
- 2 マラソンを始めるきっかけから10年。走ることで私が得たこと
- 2.1 1、ストレス解消になった
- 2.2 2、健康な体を得られた
- 2.3 3、自分自身(心と体)と深く向き合うようになった
- 2.4 4、会話のネタになった
- 2.5 5、人と知り合うきっかけになった
- 2.6 6、知らない土地に行くことを覚えた
- 2.7 7、フルマラソンを完走した時の達成感を知った
- 2.8 8、自分の価値観の狭さを知るきっかけになった
- 2.9 9、某新聞で紹介して頂いた
- 2.10 10、自分の限界を知ることができた、限界を受け入れることができた
- 2.11 11、マラソンでメンタルが強くなるわけではないと知った
- 2.12 12、走ることが心のよりどころになった
- 2.13 13、好きなことに向かう自分がいたからこそ、好きではない場所に向かっている自分を見つめ直すことができた
- 3 まとめ:マラソンを始めるきっかけから10年。走ることで私が得たこと
私がマラソンを始めるきっかけは、ツイッターで見るランナーの投稿だった
ツイッターに次々投稿されるランナーの呟きや写真を見たのがすべての始まり
私がマラソンを始めたのは、ツイッターで見かけるフォロワーさんによるランツイがきっかけでした。
もう10年以上も前の話です。
フォロワーさんがランニングのユニフォームを着て、原っぱなどに座っている写真がなんともかっこよくて、
「へえー、ランニングか…。かっこいいなあ」
と思い、格好をマネするところから入ったのがすべての始まりです。
「自分も走りたい!」ではなくて、単純に「自分もあの格好をしてみたい」という理由だけでした(笑)
スポーツショップでランニングのユニフォーム一式とシューズを一気に買い、さっそく走ることに
当時買い揃えたユニフォームは、ランシャツとランパンの中に黒いタイツを出すタイプの、いわゆるランナーっぽい格好でした。
もちろん、買っただけで走らなかったら、ランナーでもなんでもありません。
そこで、最初は2キロだけ走る、ということを目標にしました。
しかし、フォロワーさん達がとてつもない距離を走っているのをツイッターで見て、
「2キロって少ないのかな…」
と思い、対抗するかのように徐々に走行距離を伸ばしていきました。
2キロから3キロ、3キロから4キロ…と走っていくうちに、
「もっと走れるのでは?」
という欲が出てきました。
6キロ走ったあたりでしょうか。
思った以上に息切れはするし、他のランナーの方がスイスイ追い抜いていくので、
「自分はなんでこんなに身体が動かないんだろう…、もっと練習しなきゃ!」
そんな風に、変な焦りを感じ始めていました。
しかも、毎日走らないと意味がないような気がしていました。
勝手な思い込みですよね。
なんとなく膝が痛かったのですが、
「走っていくうちに慣れる」
という謎のアドバイスをどこかで読んで、意地になって走り続けていました。
この先は容易に想像できることでしょうが、そのせいで私は膝を痛めてしまいました。
「あなたにマラソンは向いていない」と医者に言われる
膝の痛みを我慢して走っているうちに、歩くだけでも膝の痛みを感じるようになってしまいました。
「さすがにこれはまずいんじゃないか」
そう思って、私は整形外科で足を診てもらうことにしました。
レントゲンを撮ってもらった結果、骨こそ折れてはいないものの、「膝の軟骨と軟骨のつなぎ目が狭い」みたいなことを指摘されました。
お医者さんがレントゲン写真を診ながら、
「こういう足では、マラソンはしない方がいいですね。向いてないですから辞めなさい」
と言ったこと、今でも憶えています。
当時の私は、せっかく面白そうな趣味を見つけたのに、いきなり無理だとか言われて、かなり心がモヤモヤしていた気がします。
医者の言うことが納得できなくて、その後、整骨院に行ったり、お灸を試してみたり、ストレッチの方法を調べまくったり、キネシオテープを貼ってみたり、とにかく色々試していました。
走らなくなって4~5ヶ月間、そんなことを繰り返しているうちに、膝の痛みが徐々に消えていきました。
徐々に練習を再開していき、継続しているうちに、気がつけば10年が経っていた
医者から「マラソンは向いていない」と言われたことがいつまでも心に残っていましたが、
「もう一回走ってみて、それでまた強烈に痛み出すようなら、その時にあきらめよう」
と思い、私はランニングを再開しました。
前のように、いきなりたくさん距離を走る、ということは避けて、距離は徐々に伸ばしていくことにしました。
人の走る距離もなるべく気にしない、なるべく人と比べないように努める、そして無理しないということを心に留めました。
ようやく10キロ走れるようになった時、「走れた…!」と感動しましたね。
膝も痛くなかったです。
最初は10キロ走るのに1時間以上かかっていましたが、筋力がついてくるにつれて、1時間を切って走れるようになり、50分を切れるようになり、45分を切れるようになり、40分を切れるようになり…。
こんなに日々成長を実感できることが本当に嬉しくて、ランニングは趣味以上に、生活の一部になっていきました。
走らないと気持ちが悪いから、走る、といった感じです。
ちなみに、膝が治って以降、再び膝が痛くなることはありませんでした。
そんなこんなで走り続けていたら、いつの間にか10年が経っていました。
次の項では、そんな私が走ることで何を得たのかを書いていきます。
マラソンを始めるきっかけから10年。走ることで私が得たこと
1、ストレス解消になった
ランニングをすることで、ストレス解消になりました。
走ることがストレス解消になるというのは、よく聞く話かもしれません。
ちょっと話がそれますが、ランニングを始めた頃の私は会社員でした。
会社で働いていれば、多かれ少なかれストレスを感じるものです。
私の場合は、会社が向いていなかったのと、気持ちの切り替えが下手くそだったのとで、常にストレスがかかっているような状態でした。
そんな私がランニングを始めた時、
「こんなに気持ちを発散できるなら、いつまででも走っていたい!」
と思ったものです。
時には、あたり一面田んぼの道を走りながら、「ウォーーーッ!!!」と叫ぶこともありました(笑)
もちろん、周りに誰もいないことを確認してから叫んでいました。
それで家に帰ってくると、さっきまで悶々としていた気持ちが多少は解消されているのが実感できました。
ストレスの抱え過ぎには効果は薄いかもしれませんが、それでも、走る前よりも走った後のほうが心は軽いです。
多かれ少なかれ、走ることがストレス解消になるのは間違いなさそうです。
※私の会社にまつわる変遷は、プロフィールに記載してあります↓
2、健康な体を得られた
マラソンのためにランニングをするようになって、健康な体を得ることができました。
というのも、私はもともと疲れやすい体質でした。
誰かと外を歩いているだけでしんどくなることが多かったです。
ランニングをする前は、それが私の体質なのだと思っていました。
しかし、それはどうやら体質ではなかったようです。
何かのきっかけで長い距離を歩いた時、ふと、自分が以前ほど疲れていないことに気がついたのでした。
もちろん、走ることと歩くことでは、使う筋肉が違うのですが、ランニングによって、いわゆる基礎体力がついたのだと思います。
また、これは個人差があるのかもしれませんが、ちょっとした風邪をひきにくくなりました。
年に2回くらいは風邪をひいていたのが、年に1回風邪をひく程度にまで、頻度が減りました。
「健康になりたいからランニングを始めた」というわけでは全くなかったので、これは思わぬ副産物でしたね。
個人差はあるでしょうが、無理をしない程度のランニングであれば、ある程度の健康な体を手に入れることはできるのだと思います。
3、自分自身(心と体)と深く向き合うようになった
自分の体のコンディションに目を向け出したのは、ランニングをするようになってからのことです。
本気でランニングに取り組むようになってから、
「今日は走れるだろうか」
「明日は足の調子はどうだろうか」
「体の疲れが残っているな」
「ん? 気持ち的に疲れているのかな」
などなど、自分の心や体との対話が増えていきました。
それは、走りながら瞑想するような感覚でした。
走ることによって自分自身と向き合い、心の整理をすることができたのです。
とはいえ、いつでも自分と向き合えたわけではないことを補足しておきます。
なぜなら、あまりにも記録を追いかけ過ぎたこともあり、そのことによって、体の調子を無視して、無理して走ることもあったからです。
加減を間違わなければ、ランニングは自分の心身と向き合える有効なツールなのだと思います。
4、会話のネタになった
人とのコミュニケーションが苦手な私にとって、「マラソン」「ランニング」というワードは会話のネタになりました。
私の場合は、なかなか自分から会話を切り出せず、誰かから話を振られてようやく話すことができるタイプです(汗)
そして、私が走っていることをだんだん知ってもらえるようになると、
「最近走ってるの?」
と声をかけて頂けるようになりました。
内向的な私には大変ありがたい声かけでした。
マラソン(ランニング)という趣味が、人との会話を助けてくれた部分が大きかったです。
マラソンに限らず、何か趣味を持つことは、何かしらの役に立つのだと実感しています。
5、人と知り合うきっかけになった
マラソン(ランニング)は人と知り合うきっかけになりました。
10キロのマラソン大会に参加した時、後半一緒に競り合っていた選手とゴール後に会話をすることがありました。
走った直後なので、お互いにテンションが高くなっていて、会話が弾むんですよね。
場合によっては連絡先を交換するようにもなりました。
また、そうやって人と知り合うことによって、
「世の中にはいろんな人がいるんだな」
と思い、世界の広さを感じるきっかけにもなりました。
オンラインの大会もいいのですが、やはり人との出会いは、リアルな大会でしか味わえないですね。
また、日頃のランニングでも出会いはありました。
私と同じコースを走る人から声をかけられ、時には「ランニングチームに入らないか」とのお誘いを頂くこともありました。
マラソン大会であれ、ランニングの練習中であれ、そしてどんな趣味であっても、同じ趣味に取り組む人とは、自然と出会えるものなのだなとつくづく思います。
6、知らない土地に行くことを覚えた
マラソン大会に出場するようになったことがきっかけで、知らない土地に行くことを覚えました。
私の場合は、マラソン大会がなければ、遠くの土地に出かけることがなかったので、色々勉強になりましたね。
知らない土地の知らない場所までの道順。
ホテルの予約や、予約するタイミング。
マラソン大会に参加する際の持ち物の準備。
特に都市型のマラソン大会に出る時は、前日受付の場所が本番の場所とは違っていることが多いので、神経を使いました。
でもその分、得るものも多かったですね。
今はコロナ禍ということもあって、なかなか遠い土地のマラソン大会に参戦できなくて、本当に残念です。いつかまた、大会を存分に楽しめることを願うばかりです。
7、フルマラソンを完走した時の達成感を知った
走ることを趣味したことがきっかけで、そこからフルマラソンでの完走を目標にし始めました。
趣味で走るようになって、2年くらい経った頃、フルマラソンを完走することができました。
その時の達成感ときたら、それはそれは、なんともいえないものです。
残り1キロになって、いよいよゴールが見えてきた時、もう残っていないはずの力を振り絞ってゴールまで駆けていきました。
ゴールした時、なんともいえない達成感に満たされました。
その達成感は一瞬ではなく、その後しばらく続いていて、家に帰り着いてからも、ずっと満たされていました。
そして、翌日は全身が筋肉痛なのですが(笑)、外の景色を見た時、新しい世界がそこには広がっているように感じました。
これはよく聞くことかもしれませんが、フルマラソンを走った時の喜びは、フルマラソンを走った人にしか分からないものなのだと思います。
8、自分の価値観の狭さを知るきっかけになった
初めてのフルマラソンを完走した後、私はどんどんマラソンに魅了されていきました。
自分の記録がどんどん更新されていくことが快感だったことも、マラソンが継続できた理由の一つです。
ただ、それがやがて、自分の価値観の狭さを知るきっかけにもなりました。
言い換えると、
「記録を追いかけるようになったことで、価値観が狭くなっていった」
とも言えます。
もちろん、自分の記録を追いかけることは、全然悪いことではありません。
しかし、走り続けていると、自己ベストを更新することはだんだんと難しくなってきます。
自己ベストを更新できない期間は、おのずと長くなってきて、それが不安や不満につながっていったんですね。
やがて、記録をどんどん出している人がうらやましくなっていきました。
今となっては恥ずかしい話ですが、『ランナーズ』というランキングに載る人に嫉妬したりもしました。
「自分もそれだけ速く走れるはずだ」
「今そこまでじゃないのは、ランニングを始めたのが遅すぎたんだ」
などと、自分に対して色々な言い訳を思うようになり、自分が辛くなっていきました。
「足が速いことが偉い」
そこまでは思いませんでしたが、当時の私は、足が速いことに大きな価値を見出していました。
「足が速いことがすごい」
「足が速くないと、人に認めてもらえない」
言葉にはなっていませんでしたが、今振り返ると、そういう感情・考え方があったのだと分かります。
当たり前ですが、これは価値観の狭さに他なりません。
自分のこの価値観の狭さに気がついてからは、より一層自分と向き合うことが多くなったように思います。
私の場合、価値観が狭い自分に気づいてから、そんな自分を受け入れて、次のステージに行くまでには、ちょっと時間がかかりました。
マラソンという趣味を通して、自分の価値観を見直すきっかけになったことは確かです。
9、某新聞で紹介して頂いた
防府読売マラソンに参加したことがきっかけで、偶然でしたが、某新聞社の方に取材して頂きました。
なかなかないレアな体験をさせて頂きました。
記事内の走っている自分の写真を見ると、自分の走り方のクセが見えて、恥ずかしいです。
もともとO脚だからなのか、蹴った後の脚が内側に曲がっていくのです。
ランニングフォームは矯正できても、O脚はなかなか治らないんですよね…。
取材は、主に事前の電話での取材でした。
走るきっかけを聞かれた時、なんとなく「ツイッターがきっかけでした」とは言いづらく、とってつけたような理由を伝えてしまい、それが記事になってしまっています(笑)
その部分は、話がややこしくなりそうなので、モザイクを入れさせて頂きました。
新聞への掲載で、いいことも悪いこともありました。
いいことというのは、こうやって新聞記事にして頂くこと自体、とっても貴重な体験だったということ。
悪いことというのは、人の妬みを感じたことです。
「よかったね!」と言ってくれる人もいれば、
「あの靴履いてその程度の順位か。たいしたことないな」と、わざわざ(!)私に言いに来る人も、実際にはいました。
人の妬みを直に感じましたね…。
一般人の私ですら、人の妬みに直面するのだから、第一線で走っておられるランナーの方々は、もっともっと大変なのだろうなと想像しました。
また、この苦い経験が、改めて自分の価値観を見つめ直すきっかけにもなりました。
10、自分の限界を知ることができた、限界を受け入れることができた
サブスリー(フルマラソンで3時間を切って走ること)を達成した時、
「頑張ってきて良かった!」
と素直に喜びました。
ただ、
「サブスリー達成できた! 次はいよいよサブエガ!」
とは、なかなか思いませんでした。
サブエガ、というのは、2時間50分切りのことを指します。江頭2:50からきているんですね。
ランナーだからといって、普段の生活をやめて、ランニングに打ち込むわけにもいきません。
そして、練習に多くの時間を注いだからといって、足が速くなるわけでもありません。
ランニングをし始めた頃は、記録がうなぎ上りでしたが、ある程度のところまでいくと、練習量だけで記録を更新することは難しくなるのです。
それは、実際に練習をしていても、体感として感じるものでした。
人それぞれ、持って生まれた素質というものがあるのだと思います。
「もしかしたら、自分はこのぐらいなのかな」
「諦める」というと、言葉は悪いかもしれません。
ですが、これでもか、というぐらい打ち込んだ結果、
「自分はこのぐらいなのかも」という肌感覚を得られたことは、同じ「諦める」でも、意味が違います。
自分の限界を知ることができ、さらにその限界を受け入れられたのは、ここまで頑張ってきたからこそです。
11、マラソンでメンタルが強くなるわけではないと知った
マラソンをする人は皆、辛抱強いと思います。
ただ、一方で私は、
「マラソンをすることでメンタルが強くなるわけではない」
とも思っています。
私は昔から基本的に、打たれ弱い性格です。
マラソンをしたら、心も強くなるのかもしれない、と考えたこともありますが、私の場合はそうではありませんでした。
確かに辛抱強く走ることはできても、人から何か嫌なことを言われたりしたら傷つきます。
長い距離を走れるようになったからといって、何事にも動じない心を獲得できる、というわけではないのです。
心を鍛える、ということは、後付けで何かを獲得することではないのだと思い知りました。
先に書いた価値観の狭さに気がついたりして、自分の認識を変えることによって、結果的に「何事にも動じなくなる」のだと私は考えています。
マラソンをすることでメンタルが強くはならないかもしれないけれど、メンタルのあり方を見つめ直すきっかけにはなりました。
その結果、以前よりは、「多少のことに動じない」メンタルが出来上がったようにも思います。
まあ、まだまだですけどね(汗)
12、走ることが心のよりどころになった
日頃からランニングをすることは、私にとっての心のよりどころになっていました。
コロナ禍で大会がなくなって、一時期はモチベーションを保つことが難しかったですが、それでも走らないよりは走っていたほうが、心が晴れやかになるのが分かりました。
以前は、走るタイムや、月間走行距離について神経質なほど気にしていましたが、今は、ほとんどこだわらなくなりましたね。
その証拠に、以前なら、ガーミンウォッチをすぐにスマホアプリに同期させて、内容を確認していたのですが、今は必要な時以外は慌てて同期させていません。
「あ、そっか、前に走ったやつまだ同期させてなかった」
と思うこともしばしばです。
タイムや月間走行距離を眺めるのが以前の心のよりどころだったとするなら、今は、走ることそのものが心のよりどころになっています。
走ることで、自分らしさを取り戻せる、といった感覚です。
この感覚は、マラソンをすることで得た貴重な感覚です。
13、好きなことに向かう自分がいたからこそ、好きではない場所に向かっている自分を見つめ直すことができた
マラソン(ランニング)を10年以上してきて、ひしひしと感じていたことがありました。
それは、私が会社に行っていて、
「何かが違う。これは自分の人生ではないような気がする」
という感覚でした。
休日にマラソンというスポーツを楽しんで充実した時間を過ごしていればいるほど、平日に会社に行った時、
「ここは自分の好きではない場所だ」
「好きではないことをしている」
「自分を押し殺している」
と感じました。
自分の思いを押し殺して会社に行ったのは、そこが自分のいたい場所ではなかったからです。
周りの人は、そこを判断できません。
自分の思いは、自分でしか測ることができないのです。
スピリチュアル的な話にはなりますが、自分に合わない場所へ、自分の感情を押し殺して通っていると、必ず反動がきます。
私の場合も、例外なく様々な反動がきました。
そのたびに会社を辞めていました。
マラソンを始めた時に、ようやく自分を取り戻しましたが、それでも、会社のなかで自分らしく生きることが難しかったです。
一番最後の会社でも、結局自分を押し殺して働いたことが原因で、じんましんを発症したり、ストレスで胸が苦しくなったり、人の顔を見るのも嫌になったり、不眠症状が出たりしました。
色々原因はありましたが、最終的には私が自分を押し殺したことが原因です。
自分で自分の感情を裏切ったことが原因で体調を崩したのです。
それは、人のせいではなく、悔しいけれども自分のせいなのです。
とはいえ、自分なりにここまで自己分析できたのは、マラソンをしている間だけでも自分らしさを出していたから、逆に合わない場所にいることに敏感になれたのだと思います。
まとめ:マラソンを始めるきっかけから10年。走ることで私が得たこと
おさらいです。
10年マラソンを続けてみて、私が得たことは、下記の通りです。
- ストレス解消になった
- 健康な体を得られた
- 自分自身(心と体)と深く向き合うようになった
- 会話のネタになった
- 人と知り合うきっかけになった
- 知らない土地に行くことを覚えた
- フルマラソンを完走した時の達成感を知った
- 自分の価値観の狭さを知るきっかけになった
- 某新聞で紹介して頂いた
- 自分の限界を知ることができた、限界を受け入れることができた
- マラソンでメンタルが強くなるわけではないと知った
- 走ることが心のよりどころになった
- 好きなことに向かう自分がいたからこそ、好きではない場所に向かっている自分を見つめ直すことができた
こうやって書いてみると、マラソンという自分の好きなことを通して、自分と真正面から向き合ってきたのだなと思いました。
これがもし、嫌いなことを続けていたら、同じような学びがそこにはなかったのではないかと想像します。
「好きなことに向かう自分がいたからこそ、好きではない場所に向かっている自分を見つめ直すことができた」
ここには2つの意味があります。
それは、
①好きなこと、やりたいことをやることで自分と向き合える
②好きではないことや場所を経験するから、好きなことに向き合った時に、より自分と向き合える
ということです。
今回ご紹介した、マラソンを通して得たことは、実はマラソンに限らないことばかりで、結局はどの分野でもこの体験はできるのではないでしょうか。
ランニングはこれからも続けていきますが、ここから先10年は、また違ったことに挑戦しようと考えています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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