簡単に自己紹介です
こんにちは、当サイト運営者のアオイソラと申します。
現在、在宅で会計事務とライターの仕事をしています。
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私は、昔から人付き合いが大の苦手でした。
今でもやっぱり苦手なんですよね。
特に集団のなかにいることが苦手です。
「どうやったら穏やかに過ごせるか」
思い返せば、学生の頃から、毎日そんなことばかり考えていたような気がします。
「とにかく穏やかに過ごしたい」
そんな気持ちが芽生えたのは、確か中学1年の3学期くらいからでした。
「勉強は、なるべく一人でやりたい」
「一人のほうが気が散らないし、自分で好きなように計画が立てられるし、絶対にその方がいい!」
子供ながらにそう思っていました。
それで私は中学3年になったあたりから、勉強は塾に頼らず、自力で勉強するようになりました。
結果的に、そのやり方が私には合っていたようで、精神的に落ち着くようになり、成績も良くなっていきました。
大人になってから趣味でマラソンをしているのも、その走っている時間は、自分だけの時間だからです。
気の合う誰かと過ごす時間も、もちろん好きなのですが、一人心を落ち着かせる時間って、何にも代えがたい財産だと、今でも思っています。
アオイソラのプロフィール
小学生時代
小学1、2年生の時は、帰り道でよくオモラシをしているような子供でした(笑)
学校の宿題も全然できず、忘れ物も多く、先生からは「忘れ物のチャンピオン」とみんなの前で言われていました。
小学2年生の時、卒業式の予行練習の途中で、おしっこが我慢できずにオモラシをしてしまいました(今でも覚えてます)。
小学3年生になると同時に転校。
ここで急にオモラシがなくなり、忘れ物もしなくなりました。
★転校の悩みについて書いた記事はこちら↓
小学3年生から4年生までは、毎日学校に行くのが楽しかったです。
土日になっても、「早く学校始まらないかな」と思っていたほどです。
しかし小学5年生から一転、担任の先生が怖くなり、急速に学校が嫌いになっていきました。
小学6年生も同じ担任の先生だったため、変化なし。
小学6年生の終わりがけに起きた『卒業文集事件』(勝手にそう呼んでます)で、私の小学生時代は幕を閉じます。
★『卒業文集事件』の詳細はこちら↓
中学生時代
中学一年生の時、剣道部に入部して、2年生の先輩からいじめを受けました。
先生に報告したことで、幸いにもそのいじめはなくなりましたが、その頃から、人と話すより、自分の内側と対話することが多くなった気がします。
いわゆる思春期というやつでしょうか。
友達はほぼいませんでした(笑)
中学一年生の終わり頃に、学校の成績が悪くなって親に怒られたことがきっかけで、勉強をし始めました。
どうせ友達もいないんだし、ということで、休み時間もずっと勉強していました。
★『学校で一人が辛い』について書いた記事はこちら↓
中学2年生、中学3年生は、すっかり優等生ぶっていました。
いじめられないように、馬鹿にされないようにとばかり考えていたので、優等生ぶるしかなかったのです。
そして、その勉強の甲斐あって、県内有数の進学校に合格。
「これまでは自分を出すのを我慢していたけれど、これからはもう自分らしく学生生活を送りたい!」
そう思っていました。
高校生時代
ところが、進学校に入って数か月もすると、自分の学力ではついていけないことが判明。
一応頑張って勉強しましたが、中学生の時に頑張りすぎたせいもあって、気力が持ちません。
勉強は、頑張ったり、頑張らなかったり…。
成績も、上がったり、下がったり…。
勉強は、平日でだいたい4時間勉強していました。
土日であればほぼ一日中勉強するような日々…。
でも、それだけ頑張っても、成績は良くなりませんでした。
やっていることが空回りしているような感じで、勉強した内容が頭からすり抜けていくような感覚があって、とてもじゃないですが、授業に追いつけませんでした。
今なら、
「こんな風に勉強すればよかった」
「こんな風に毎日を送ればよかった」
そんなことを山ほど思います。
『こうやって勉強や学校生活と向き合えばよかったな』っていうのを書いた記事は、こちらです↓
そんなこんなで、私は暗黒の高校生時代を過ごすことになります。
正直に言うと、高校生の時はひたすら、「死にたい」とばかり思っていました。
台風が接近していたある日の帰りのこと。
私は、学校から無理やり自転車で帰り、柵の低い大きな橋を渡る時に、「風に飛ばされたことにして、ここから落ちてしまおう」と思いました。
ほとんど本気でした。
ですが、「さあ落ちよう」と柵に身体を傾けたその時、通りがかりのトラックの運転手さんが声をかけてくださり、自転車を荷台に乗せ、びしょびしょの私を家まで送って下さったのです。
今から考えると、ほとんどあり得ないような助けられ方でした。
本当は、そのことにもっともっと感謝をしないといけないことでした。
あの時に助けられないと、今の私はここにいないのですから…。
しかしその当時は、助けられても、その先にある絶望感しかありませんでした。
「今とても辛い」という気持ちを誰にも言えずにいました。
なので、その日、びしょびしょになって帰ってきた私を母が心配して出迎えても、私はロクに話もせずに、「うるさい!」と怒鳴り、会話を拒否してしまっていました。
あの頃、だいぶん追い詰められていたのだと思います。
進学校ならではの、陰湿ないじめもありましたが、それも誰にも言えませんでした。
高校3年生の夏休み、私は急に気持ちの糸がプツンと切れてしまい、ついに、そこからはほとんど勉強しなくなりました。
しなかった、というよりも、全くできなかった、手につかなくなった、というのが正しいです。
そんな私が大学に進学できたのは、高校に入学してからずっと見えていた一筋の直感に頼ったからです。
大学入学にまつわるエピソードを書いた記事は、こちら↓
大学生時代
「大学に入学したらはじけよう! 楽しい大学生活だ!」
そう思っていましたが、私は毎日不安で一杯でした。
「一体いつまで不安になっているの?」と思われるかもしれませんが、とにかく不安はいつまでもつきまとっていました。
私は私なりにジタバタしていました。
親にも心の内を相談しましたが、結果的に自分が虚しくなるだけでした。
大学の同級生に悩みを打ち明けたこともありますが、なんとなく人間不信になっていたのか、最終的にはいつも私が同級生を遠ざけるようになっていました。
今振り返ると、私の不安は、幼い頃からの生活環境、そして親や先生、兄弟や親戚との関わり合いで常にストレスにさらされていた結果のものなのだと思います。
そんな不安な感情のまま、世の中は就職氷河期を迎え、就職活動が始まってしまいました。
受ける会社受ける会社、とにかく落ちまくり、一個だけ受かった会社があったのですが、親が反対し、なくなく内定を辞退することに。
最終的に、私は親の紹介してくれた会社に就職します。
社会人になってから
最初に入社した会社は1年と半年で退社。
2社目、数か月で心を病み、休職、退職。
そして、3社目で経理の仕事を覚え、ようやく資格を取得。
しかし、仕事で大きな失敗をし、ブラック企業だったことも手伝って大変な目に遭い、退職。
4社目、紹介予定派遣で入社するも、リーマンショックにより、半年で退職。
その後、面接を100回くらい受け続けては落ち続けました。
そろそろ貯金も底をつきそうになり、「もうダメかな」と思っていた時に、内定通知をもらい、命拾いをしました。
そして、その5社目に入社。
ようやくここから少しだけ光が見え始めました。
入社して2年経った頃にマラソンを趣味にするようになります。
30歳を過ぎていました。
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しかし、入社して7年ぐらい経過するあたりから、自分の本来の思いとは違う方向に生活が進んでいるような気がしました。
「何か違う。何かおかしい。こんな生き方をしたかったんだろうか?」
その思いはなかなか言葉にはできなかったのですが、どうやっても違和感を拭い去ることができず、せっかく一番長く勤めた会社だったにも関わらず、退職。
この頃から、自分を見つめ直すことが多くなりました。
スピリチュアル系の本を読んだり、人との出会いがあったりして、どん底だった私はここから大きく人生の立て直しを図っていくことになります。
その辺から人生はかなり軌道修正されていきました。
そして、再び正社員として再就職、6社目。
しかしその6社目に入社して早々、人間関係や仕事量の多さ、あるいは仕事内容の難しさに直面しました。
困難に対処して、少しずつでも解決していこうと、周囲の方々に助けを求めました。
そこから、ちょっとずつでも自分が働きやすくなればいいと思っていました。
でも、会社での悩みを考えて考えて、突き詰めていけばいくほど、根本的な問題が違う場所にあることに気づき始めました。
本心が前面に出てきたのです。
「なんてつまらない人生なんだろう。なんてつまらない大人なんだろう。私はこんなことをするために生まれてきたのだろうか?周りに気を遣っていくうちに気を遣い過ぎて、嫌いな人を遠ざけることにばかり意識が向いて、そんなことばかり考えている私は、なんてつまらない大人なんだろうか」
私は、仕事や人間関係のストレスでやがて不眠に陥り、もう限界というところで、朝から病院に行き、休職することに。
「自分は本当はどうしたいのだろう?」
「私は、自分自身から逃げ続けているのではないだろうか?」
このサイトを立ち上げたのもちょうどその頃です。
さらに私は、自分の心のありようについて、深く反省することがありました。
振り返ってみると、起きた出来事に対して、環境や人のせいにして生きてきたようなところがありました。
学校のせい。
会社のせい。
上司のせい。
親のせい。
家族のせい。
社会のせい。
誰かのせいにしてしまえば、その瞬間は楽でした。
これまでの私は、ロクに自分自身の思いと向き合わずに、周りの意見や雰囲気、相手の顔色に合わせて人生を決めてしまっていることに気がつきました。
こうすれば、争わずに済むから。
こうすれば、嫌われずに済むから。
こうすれば、怒られずに済むから。
そうやって私は、誰かや何かのせいにしてきたのです。
でもそれは違いました。
決して、誰かや何かのせいではなく、最終的に周りに流されることを選んだ私自身のせいなのです。
もしかして、自分の思いに誠実にならないと、この先、いつまで経っても道は開けないのではないか。
そこに気がついた時は、40歳でした。
もっと早くこのことに気がつきたかったですが、私の場合は、そのことを学ぶための40年だったのかもしれません。
ここからは、自分に誠実な生き方をしていきたい。
「誠実に生きるその先に、道が開ける」
2020年10月末をもって、私は会社員生活にピリオドを打ちました。
今後うまく生活ができるかどうか。
それは、私のこの考え方の答え合わせのようなものだと思っています。
こんな私ですが、応援して頂けると嬉しいです。
★2020年11月より、会計事務やライター業務を在宅で行いながら、当ブログで情報発信をしています。
私のプロフィールを最後の最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!
今後とも、よろしくお願い致します!
2020年10月吉日
アオイソラ
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